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「1失点目から考える現在地」~2020.12.6 プレミアリーグ 第11節 トッテナム×アーセナル レビュー

    スタメンはこちら。

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    アーセナルのここ最近のおかしいところは1失点目に詰まっていた。なので今回はここにフォーカスを当てて。いつものような試合展開を振り返るレビューを期待していた人はごめんなさい。ここで閉じてもらったほうがいいかも。全試合短評の方ではもう少し試合展開にも触れようと思うのでそちらを見てね。

目次

1. ベジェリンとホールディングの入れ替わり

    アーセナルを毎試合見ている人ならばすでにもうわかっていることだと思うが、右サイドでユニットを組むベジェリンとホールディングはアストンビラ戦以降のカウンター対応で内側と外側を入れ替えることが非常に多い。

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   もちろん、流れの中でこういうシーンが出てくるのは今のアーセナルのやり方ならば仕方がないことだと思う。アーセナルはここ数試合、SBを高くまで上げるやり方が主流であるからだ。

   しかし、じゃあこのやり方が効果的かどうかといわれると疑問が残る。この形ではスピードが豊富な相手チームのサイドアタッカーとスピードに乏しいアーセナルのRCBが対峙することになる。

    実際、この入れ替わりによってスピードで翻弄されるマッチアップになることは多々ある。この試合においてもホールディングとソンが向き合うことになる場面は頻発した。

   流れとして1試合に数回緊急的な対応としてこのような場面が出てくるのは仕方ないと思うが、問題はどちらかというとこのポジションの入れ替わりがここ数試合においてシステマティックに行われていることである。

    一度ベジェリンが間に合わない状況になった際は、ポジションに戻ろうとするのではなく同サイドのホールディングの位置に戻るようにリトリートする。その代わりに最終ラインからホールディングがSBのカバーに積極的に出ていく。この流れがチームとしての決まりごととし積極的に行われているように見えているのである。

    先述の通りホールティングはスピードが豊かなCBではない。今季はCBとしてクロスの跳ね返しなど粘り強い対応で堅守といわれていた時期のアーセナルをPA内から支えていた選手である。

    もちろん、カウンター対応のように望まない状況でスピードスターと対峙しなければいけないことはあるが、入れ替わらずに済みそうな場面でもわざわざ進んで外に出ていってそういった選手に積極的に『望まない機会』を掴みに行く必要はないはずである。

    ちなみにRCBにホールディングではなくダビド・ルイスを起用したウォルバーハンプトン戦でも同様の傾向が見られた。したがって、この動きはホールティングやベジェリンの個人の判断というよりはチームとして仕込まれている可能性がより高いように思える。

    ダビド・ルイスは、これまでのキャリアにおける活躍の仕方を考えると、本人の積極的に動きたがる気性をシステムで押さえつける(3バックの中央)か、彼に手綱を付けられる相棒(チアゴ・シウバなど)を横に置くことで、なるべくタスクを限定することで能力を発揮しているプレイヤーである。

   いたずらに行動範囲が広がるようなウォルバーハンプトン戦でのアプローチは、どちらかといえばダビド・ルイスが活躍するセオリーとは逆行するものといっていいだろう。

   このようにダビド・ルイスにしてもホールティングにしても、そして彼らの代わりに内側にポジションを取り直すベジェリンにしても、アルテタが用意したと考えられるこのシステマティックなポジションを入れ替えての対応に合う特性を持った選手とはいいがたいのである。

2. ソンへのホールティングへの対応

   次はそういった状況がシステムの中で定められているといった前提で話をしたい。1失点目のシーンはそのホールティングがソンに対峙をする局面を経て、ミドルシュートが決まっている。気になるのは、ホールティングがオーバーラップするレギロンに引っ張られて内側を空けて外に流れるような対応を見せたことである。

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   ただ、大外からオーバーラップするレギロンをケアすることと、ソンに内側にカットインするためのコースを空けることのどちらか守備陣形が整っていない段階で警戒すべき事象か?といわれれば無論後者であろう。

   しかし、このシーンではホールディングは前者を優先した対応をとる。確かにトーマスがよりボールサイドに寄っていれば、よりいい対応ができたように思うが、その状況が約束されていない段階でソンを自ら放すのはあまりにリスキーだろう。ましてや彼はチームの最後の砦となるべきポジションの選手なのだ。

   彼がソンについていきレギロンに出されても確かに危険な場面は継続するが、内側に折り返すクロスの質とそれに合わせる中の選手の競り合いなどゴールまでの手数はまだいくつかある。一方で、プレミアでいま最も勢いのあるアタッカーの1人であるソンにカットインするスペースを自ら作るということは、この場面のような美しいミドルシュートを放つチャレンジをソンに進んで与えるということと同義である。いわば、一撃で得点になるような機会であり、この選択肢がこの状況下で最も警戒すべきことだ。

   100歩譲ってホールティングの本職がSBならば、内に任せる選択肢をとるのも理解できなくはない。しかし、本来彼はCBの選手。カットインするソンに真っ先に対応することが重要であることはとても強く認識しているはずである。しかも、この状態ではソンに全く制限がかかってない状態でマークをリリース。

   後方のベジェリンは滑ったとはいえ詰めるには位置的に遠く、ソンはホールディングのマークが外れたタイミングでミドルシュートもサイドチェンジも選び放題な瞬間ができている。

   ちなみにもし内側を切る選択肢を選んで振り切られてしまい、得点を決められるという結果が同じだとしても、レギロンのケアを優先してこのような失点を許すこととはわけが違うように思える。この場面において内側を切ってスピードで振り切られてしまうというのは選手個人の資質がぶつかり合ったときに発生する結果である。

   一方で自陣ゴールに対して最も危険な選択肢をまず封鎖するというのは、システムによらず普遍的な原則であるように思えるが、このシーンではホールティングがその原則を守れていなかったように見える。

   もちろん、繰り返し述べているようにソンとホールディングが広いスペースでマッチアップする場面自体がアーセナルに分が悪く、望む状況ではないのは百も承知。だが、その能力差が出る以前の段階でアーセナルは白旗を挙げているのだ。

かさ上げ程度では何とかならない

   さて、1失点目における気になる2つの要素について述べてきた。2つの要素のうち、1つ目は事前に用意されていたシステムに難がある。そして2つ目は選手個人の判断で起きてしまったエラーだ。

   今回は具体的な場面を例示して話を進めたかったため、ベジェリンとホールディングによりフォーカスが当たる内容になっているが、このセクションに限らず両方の事象に基づくことはピッチのあらゆるところで起きている。彼ら2人が特別にボロボロで、残りの9人がピカピカであるというわけではないのだ。

   例えば、左サイドでのサカとティアニーは共に大外を使うことを志向しており、レーンがかぶっている。さらにニアのスペースに走りこんでくる選手がいないため、相手からすれば内側だけ消しておけば抜かれない限りはOK。PA内では高さのあるトッテナムのDF陣がハイクロスを待ち構える格好になる。

    2つ目の要素は『判断』を例に挙げたが、こうした危険な事象を作ってしまうプレッシャーがかかっていない場面でのパスミスやカウンターに予防的ポジショニングの怠りなどはこの場面以外でも数多くみられる。ソンとホールディングのマッチアップのように『能力差以前の問題』というやつである。

  いわば、今のアーセナルは1つ目のような困った状況を招きやすいシステムと、そのシステムの中でプレーする中で個人個人の判断や質が伴わないという2つ目の要素がかけ合わさっているようなチームといえるだろう。

   今のアーセナルの抱える難点が複合的であることも厄介だ。ただ、もっと気になるのはこれらのことは昨季やもっといえば今季の途中まではできていたことである。たしかに1つ新しいことにチャレンジすれば、それまでの強みが失われてしまうというのは、大いにあり得ることではある。しかし、どうも傍から見るとその次元の話ではないように見える。アストンビラ戦以降のアーセナルはまるで焼け野原のようだ。

  これまでのアルテタは毎試合毎試合策を用意して週末に臨んでおり、見る側としても相手ごとに変わっていく手法に対してレビューを通して解釈を考えることができていた。今のような数試合変わらない問題点に繰り返すような週末を迎えるような監督ではなかったはずだ。

   一方で選手たちにも気になる部分はある。たとえシステムがうまく回っていなくても、偶発的にでもチャンスが来る場面は当然出てくる。相手も人間であり、ミスが発生することもあるからだ。

  しかし、そういった時間や空間のできた場面においても、プレーの質が伴わない。

「この選手、こんなにクロスの精度が低かったっけ?」
「球際弱かったっけ?」
「パス交換でミスってこんなに多かったっけ?」
「シュートの選択肢をこんなに選ばない選手だったっけ?」

   今季のアーセナルを応援していれば、思い当たる節がある感情であるはずだ。もしかすると、何か外に見えてこないマイナスな要素が内部にはあるのかもしれない。ピッチでの現象はそれほど不自然だ。

   ダービーで負けたことや、順位のことは一度考えなくていい。相手が首位を走る好調なトッテナムだからというだけで負けたわけではない。今のアーセナルは相手の弱点を消せるアプローチができていないし、自分たちの強みを押し出すアプローチもできておらず、強みとは何か?までわからなくなっている状態である。

   ノースロンドンダービーという舞台装置で少しテンションがかさ上げされた程度で、何もかも解決すると思ったら大間違いということだ。ダービーがチームを上昇気流に乗せてくれる可能性もあるという自分の認識もいささか楽観的過ぎたということだろう。

■クロスの数で消耗しないで

   最後のおまけとしてクロスの話。多分、これからモイーズの名前を引きあいに出してアーセナルのクロスの多さを指摘するデータがたくさん出てくると思う。というかすでにこれまでにもでているし。なぜなら、ここがメディアからするとアルテタアーセナルの低迷のいじりしろだからだ。

   クロスの多さは勝利を決めるものでも負けを引き寄せるものでもない。そして、おそらくだが枠内シュート等の数値と比べるとダイレクトに得点に相関するパラメーターではないように見える。なので、単にクロスの本数を引き合いに出して煽ってくるデータに関しては、スルーでいいのではないかなと。

    クロスが多くてもいいチームはいっぱいいるし。要はその手段が見合っているかどうかの方が大事。どのようなクロスが得点に結びつきやすいか?とかチームスタイルとの相関まで述べられていれば、僕もぜひその記事は読みたい。

    ただ、経験上単に数値を引っ張ってきて危機を煽りたいだけのメディアもたくさんいる。心が荒んでいるはずのアーセナルファンがわざわざそういうものに触れてさらに消耗する必要もないのかなと。

    現状、今のアーセナルの攻撃の仕上げにおいてクロスの依存度を下げるのは難しいと思う。むしろ、個人的には仕上げの手段として積極的に活用すべきとすら思う。上げるまでの状況作りやクロスの質や高さが問題なわけで、クロスそのものが罪ではない。

    今はアーセナルのスカッドに合ったクロスの質や精度、状況になっておらず、そのことの方がはるかに問題としては根深い。なぜ、数よりも今のアーセナルのクロスがなぜダメだったのか?を考えるほうが建設的なように思う。

あとがき

   エンドンベレ→ロ・チェルソの変更は現状では割引。ダイアーとアルデルワイレルドが揃ったDFラインは強度アップ。攻めたいサイドでソンの配置を決めているのかな?ケインの1得点目のお膳立てはもっともっと褒められていい。スーパー。

試合結果
2020.12.6
プレミアリーグ
第11節
トッテナム 2-0 アーセナル
トッテナム・ホットスパー・スタジアム
【得点者】
TOT: 13′ ソン, 45+1′ ケイン
主審:マーティン・アトキンソン

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