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「哲学への根ざし方」~2021.5.28 UEFA Champions League Final マンチェスター・シティ×チェルシー レビュー

スタメンはこちら。

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目次

レビュー

■前哨戦で見られた勝負の分かれ目

 普段、プレミアリーグを観戦している自分にとって、ファイナルがプレミア対決になったことはうれしかった。理由は2つ。1つは自分の贔屓チームが身を置いているリーグ戦の日常がCLのファイナルという非日常のあの舞台につながっているように思えるから。国内で主導権を握るのはもちろんその分難しいけど、強くあるためには強い相手とお手合わせしつつ、アップデートを強いられるのが一番だと思う。アーセナルにとっては来年もあの舞台は非日常なんだけども。

 そしてもう1つの理由は普段何をやっているか比較的見ているチームが個の大舞台で何を仕掛けてくるかを見れるからだ。しかも、今回は対戦が決まった後のリーグ戦という前哨戦の舞台付きである。

 このリーグ戦でのポイントはシティが5-3-2という形で前線のピン止めと中盤の数的優位を定常化したこと。中盤にDFラインからヘルプに来たら、その裏を狙うというものだった。シティの先制点は結局この形から生まれている。

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 この話も何倍も深く掘り下げているプレビューがあるので詳しくはこちらを読んでください。有料だけど。ここ数試合の彼らを深く潜って掘り下げています。



[3-2-5]を使いこなし勝ち上がってきた両雄の最終決戦。CL決勝シティ対チェルシーの戦術的ポイントを読む | footballista | フットボリスタ


5月29日に控えるUEFAチャンピオンズリーグ決勝。ペップ・グアルディオラの下で悲願の初戴冠を目論むマンチェスター・シティ


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 要は中盤の優位と相手のDFラインを動かす部分をどう作っていくのか?という部分がこの試合の肝になるのは間違いない。チェルシーはマウントを使って中盤と前線の枚数を自在に変えたり、あるいはハドソン=オドイという大外にポイントを作れる選手を置いて攻めの力点を変えたりとか。シティは先述のチェルシー戦のように仕組みごとまるっといじって、コンセプトを組むことが多い。この差はおそらく両指揮官がチームに費やした時間の差につながってくると思う。

いずれにしても両チームが目指していることは
・噛み合わせをどう外すか?(外されないか)
・中盤で数的優位を取る
・最終ラインを引っ張り出す

 というわけで、この試合の話。メンバー表を見た時に特徴的な人選となったのはマンチェスター・シティの方である。とりわけ、目を引くのはアンカーの位置に入るであろうギュンドアンである。おそらく保持に振っていくのだろうな。そして中央に人を集めて数の論理で攻めるのだろうなと感じるスタメンであった。

■数の論理を潰す圧縮

 シティのボール保持においてはやはり中央で数的優位を作ることがベースにあるようだった。トップのデ・ブライネ、IHのベルナルド、フォーデンに加えてLSBのジンチェンコも中央に入ってくる。人選も含めて自由度が高い。人ごとに配置が決まっているわけではなく、ローテが多めである。ギュンドアンをアンカーにしたのはアンカーもそのぐるぐるに巻き込みたいからなのかなと思ったけど、そういうシーンはそこまで多くなかった。

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 唯一決まっているのは大外。スターリングとマフレズが大外に陣取り、攻撃をペナ幅だけに収めないことは意識されていた。

 基本的には内に密集で優位を取り、時折大外を噛ませつつ間を取りながら進むことがマンチェスター・シティの理想像だったといえるだろう。ちょうどエバートン戦の先制点のイメージである。

 中盤を数の論理で制圧するのがマンチェスター・シティの目論見だとしたら、チェルシーの目論見は中盤で数の論理による優位を消すことになる。数の論理が効く範囲を狭くしてしまえば問題ないという考え方。チェルシーはトップのヴェルナーをアンカーのギュンドアンを監視するように立たせるほど、トップのプレスラインは低く設定していた。その一方で、最終ラインを下げることはなく、トップとエンドを縦方向にコンパクトにすること意識していた。

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 振り返った時に10人のリーズがマンチェスター・シティに勝利した試合を思い出した。あの試合でシティが得点を獲れなかったのは、リーズが『マンマーク+受け渡しのカバー』という普段行っていることをオールコートではなく、PA内に矮小化して行ったからである。カバーする範囲を狭くしてしまえば局所的数的優位は効果を発揮しにくくなる。

 チェルシーの理屈も出力のされ方は違えど、リーズのそれと似ているように思う。特に秀逸だったのはチェルシーの両CHの振舞い。カンテとジョルジーニョが斜め関係でボールサイドに寄せることで、シティを狭いスペースから脱出させない。

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 狭いスペースがあるということは広いスペースがあるということ。そのスペースは使わせなければOK。同サイドに圧縮し、ボールホルダーを逃がさず、中盤を狭く維持することで素早いサイドチェンジを許さない。

 となるとシティは大外勝負。チェルシーはここは1対1で受けることを許容した部分である。ここで光ったのはジェームズ。スターリングとの1対1に一歩も引かずに対等に勝負を受けて立った。なぜ、より良いシーズンを過ごしたマフレズよりスターリング勝負を重視したのかはちょっとわからないけど。

 そうなると、高いDFラインを裏に抜けるしかない。シティはダイレクトに裏に抜ける選手は前線にはいない。したがって、9分のようにデ・ブライネが体を張ってポストをして起点になるという不慣れなことをしなければ、裏を抜ける場面を作ることができない。

■ラインは上げてももう一歩が

 チェルシーの攻撃において最もやられたくないのは早々にCBが捕まってしまって、プレスを脱出できないこと。例えば大敗したWBA戦などは最終ラインが捕まってしまい、そのままショートカウンターを食らいまくってしまう。チェルシーは最終ラインのボール保持のスキルはそこまで高くない。

 シティはこの試合の頭から全体のラインを押し上げて積極的にプレスにはいく。しかし、肝心なところでホルダーにプレスがかからない場面が出てくる。例えば2分。ヴェルナーの裏抜けのフィードを通す隙をホルダーに与えてしまっている。

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 続く3分、今度はカンテへのショートパスを通してしまう。スターリングにアスピリクエタが連勝しているのは大きい。だが、そもそも中盤やDFラインが押し上げてプレスに行けないことが気になる。

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 理由があるとしたらヴェルナーの存在だろうか。彼の裏抜けという帰着点があるせいで、シティが全体でプレスラインを押し上げることができない。

 得点シーンもそうだ。確かにラインが見える位置にいるジンチェンコがオフサイドの芽を捨てて、ハフェルツへのマークにタイトに行くべきだったのは確かである。だが、むしろこの場面で気になるのはストーンズが寄せ切れずにマウントに反転をさせた方。ここに寄せ切れないのならば、中盤にフィルター役を置かないこの日のシティの布陣を正当化するのは難しい。

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 したがって、大きな推進力を得るのは両チームともカウンターや長い展開が主。チェルシーもシティが撤退した時は攻めあぐねており、保持のやり直しを効果的に使える場面は多くなかった。よって数少ないチャンスシーンは大きな展開の応酬というプレミアチックな流れに。しかし、大部分は攻守の切り替えが少なく堅い展開になっていた。

■デ・ブライネの舞台になり得たが…

 後半、ビハインドのシティはエンジンをかけねばならない。だが、大枠としての狙いは変わらない。狙いたいのは中盤の数的優位のところである。前半と比べてシティが変えたのはジンチェンコの立ち位置。サイドの高い位置に積極的に顔を出すようになった。

 理由の1つはスターリングがジェームズとの1on1を制するのが難しいという白旗だろう。ここでスペースを作ることの意義を見出しきれなかったということだ。もう1つの理由はカンテを横に引っ張ることだろう。広い範囲をカバーできるカンテをなるべく片寄せすることで、可動範囲を制限してやろうということ。ちなみにカンテがいない逆サイドはマウントが下がることで中央のスペースをカバーする。カンテもだけどこっちも1人で2役出来る人である。

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 だが、さすがにコンパクトさを維持しているチェルシーも徐々に中央にスペースができるようになる。しかし、ここでシティに誤算が。中央にスペースが空いた時に一番効くのはデ・ブライネの中を切り裂くドリブルである。そのデ・ブライネが負傷交代でいなくなってしまうのだから運がない。彼がいなくなる直前にカンテにギリで止められたドリブルとかが徐々に効くようになる。

 加えて、外⇒外を行き来できる長いボールの精度もデ・ブライネが一番である。中央を使い、外が空きやすくなり、2人のストライカーを中央に置いた状況ではデ・ブライネにクロスやドリブルを主体としたチャンスメイカーとして機能してもらうことが期待されたはず。

 彼がいない状態でもシティはエリア内に迫るところまではいっていた。だが、チェルシーの最終ラインはよく踏ん張った。特にボールサイドと逆側のDFが最後の防波堤になって体を張ったのが大きかった。前半のチルウェル、そして後半のアスピリクエタ。それぞれ水際で紙一重のところゴールを守った。負傷交代したシウバに代わって中央に入ったクリステンセンも最後の砦として機能した。

 リードするチェルシーもギリギリの状況。そんな中でトゥヘルが打った一手はコバチッチを使った保持の回復。彼がゲームにスッと入って保持の時間を確保したのはチェルシーにとって大きかった。

 最後の最後にエデルソンがロングボールを連続でミスったのは、個人的には初めて彼を人間らしいと思ったシーン。エデルソンの人間らしさを引き出したチェルシーが逃げ切り成功。リーグでは後塵を拝したシティを下し、9年ぶり2回目のビックイヤーに輝いた。

あとがき

■幹から枝葉を育てたトゥヘル

 保持の局面は明らかにシティの方が慣れているはずなのだけど、前半の保持で相手のプレスに対して適切な動かし方をしたのはチェルシーの方だった。シティが本来の意味でまずかったのはギュンドアンのアンカー起用(まぁ、これもこれで機能しなかったけど)という保持の局面でのアレンジとかよりも、非保持の部分で前からプレッシングに行ききれなかったところが大きい。哲学の中での小さなズレよりも、哲学に根付いた振舞いに振り切れなかったことが一番気になったところである。

 トゥヘルはシーズン途中就任からでは幹を育てるところまでが精いっぱいかと思ったのだけど、そこから見事に枝葉を伸ばして見せた。中盤と前線の人数調整、この日はお目見えしなかったハドソン=オドイのWB起用。そして、この日、一番先制点に大きく寄与したボール保持。最終ラインが簡単に蹴り出さずに相手のプレスラインを引き寄せてから前進することで、前線のヴェルナーが活きる展開になった。短い期間で幹から枝葉を伸ばしたチェルシーと、非保持で哲学に根差しきれなかったシティ。コンセプトに対する実行度で両軍には差が見えた。

 とはいえ、チェルシーが紙一重で決定機を防いだ部分があったのも事実。コンセプトへのコミットの差は感じたのは確かなんだけど、『CLはディティールのコンペティション』ってモウリーニョが昔いっていた言葉もまた沁みる決勝だった。

 シティのサッカーはおそらく追う展開と相性が悪い。正確なつなぎを続けなければ決定機につながらないから。試合終盤のアドレナリンがめちゃめちゃ出まくっている状況にはあまりスタイルがマッチしないように思う。それでも、惜しいところまではこぎつけた。大舞台でそのプレッシャーを背負って普段のサッカーをやろうとしたことは、次にこの舞台でスタイルを体現する際に役に立つはず。負けてもファイナルに立った意味があるというのはおそらくそういうこと。ファイナル前に続投を表明したグアルディオラとこれからも歩むシティに再度ファイナルで哲学を表現する機会は再びやってくるだろうか。

試合結果
UEFA Champions League Final
マンチェスター・シティ 0-1 チェルシー
エスタディオ・ドラゴン
【得点者】
CHE:42′ ハフェルツ
主審:アントニオ・マテウ・ラオス

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