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「めぐり合わせでいつの間にか」~小林悠の話をしよう

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偏屈野郎から見た第一印象

「いつから川崎を応援しているんですか?」

 Twitterでたまに聞かれる質問である。「ちゃんとスタジアムに見に行ったのは風間政権になってから」とか「實藤がいた気がする」とか断片的なことは覚えているんだけど、はっきりいつからというのは自分の中で覚えていなかったりする。

 きっかけはアルバイトである。当時大学生だった自分のバイト先は自由が丘。川崎のホームタウンである武蔵小杉と近く、バイト仲間に川崎ファンがちらほらいた。彼らに連れられて等々力にいったのがスタジアムデビューだと記憶している。相手は確かマリノスだったような。定かではない。

 当時の自分はいわゆる海外に傾倒しているサッカーファンだったと思う。Jリーグのことを特別見下していたわけではないが「海外の方が面白いでしょう?」とは思っていた。勝てなかった試合の帰りにバイト仲間に「こういう感じの選手がいたらよかったのにね!」とか言っていた気がする。今思えば、すごい嫌な奴だったろうなと思う。

 そんな海外の偏屈なサッカーファンの小林悠に対する当初の印象は「頼りなさそう」であった。中村憲剛、大久保嘉人といった海外サッカーファンにでも届くような名前でもなければ、レナトのような目立つパフォーマンスをするわけでもない。スピードもパワーも特別優れていない当時の小林はどこか頼りなく映っていたことを覚えている。

増し続ける存在感

 海外の偏屈なサッカーファンは日を追うごとにJリーグを見る機会は増えるようになった。川崎フロンターレを好きな気持ちも徐々に増していった。理由は例によってよく覚えていない。バイト仲間や友人が川崎を応援していたこともあるだろう。話も時間も共有できる。スタジアムに行って友人とサッカーを観戦するという楽しみは海外サッカーを観戦するのとは異なる趣があることもわかった。

 自分が川崎に徐々にハマっていく中で、小林悠は輝きを増していった。大久保嘉人のパートナーとしてなくてはならない存在になったし、破壊力抜群だった攻撃陣の中心にいた。繰り返す負傷に対しても、だんだんと悲しみが増すようになる。自分の川崎への興味と比例するように小林悠は川崎の中での立ち位置をより重要なものにしていた。

 「川崎のワーストゲームはなんですか?」

 と聞かれたら「2016年の熊谷遠征」と答えるようにしている。川崎にとっては優勝争いのさなかの大事な一戦だった。にもかかわらず両チームとも小競り合いを繰り返し、思わず顔をしかめてしまうようなシーンばかり。荒れたピッチの中で、数人の選手がチームを勝たせることにフォーカスしていたのがあの日の救いだった。川崎が数的不利になった状態で、一度は逆転となる勝ち越しゴールを挙げた小林悠はその「数人の選手」のうちの1人だった。

 どんな展開でもタフに走り回る。黙々と前を向いてプレーする。大久保嘉人ほど感情をあらわにしない、中村憲剛ほどのカリスマ性もない。それでも小林悠なりの黙々としたチームの引っ張り方を示してくれていたのが、あの年の大宮戦だったと思う。

残留からのキャプテン就任

 「一度は逆転」という言葉からもわかるように、先の大宮戦に敗れた川崎はその年もタイトルを逃した。その冬に小林に持ち上がったのは移籍話である。オファーがあったとされるのは神戸、G大阪、鳥栖。川崎よりも補強に関してお金をもっていたり、タイトルを取った実績があったりするチームからのオファー。29歳だった小林にとっては大きな契約を結べるラストチャンスといっていいタイミングだった。

 もちろん残ってほしいが、そんなに簡単ではないことも当然わかっている。サッカーではお金や強いチームへの移籍はよくあること。アーセナルファンとして多くの主力選手の放出を経験していた自分にとっては割り切らなくてはいけない部分もあると思っていた。ましてやプレミアリーガーと比べれば、Jリーガーの給与水準はるかに低い。小林にとってはどの条件も非常に魅力的に映っただろう。

 だからこそ、小林が残留を決めた時はうれしさと同じくらい驚きがあった。1人の選手が川崎に骨を埋める覚悟で契約を更新してくれる瞬間を目の当たりにする、というのはサポーター冥利に尽きる瞬間の1つであるかもしれない。

 そんな小林の覚悟に対して、チームはキャプテンという役職を用意することで応えた。中村憲剛とは異なる、プレーで引っ張るタイプのキャプテンの誕生である。それに伴って、2017年はコメントも責任感を伴うものが多くなった。コンビを組んでいた大久保がFC東京に移籍したのも一因だっただろう。「自分が得点を取らなければ!」という強い思いが時には力みとなってプレーに表れているように見えることも。キャプテンに向いていないかも?と思うときもあったことは告白しておきたい。

 しかし、そんな心配は杞憂だった。2017年、川崎フロンターレはクラブ初のタイトルとなるリーグ優勝を果たす。加えて、最終節の大量得点での逆転得点王も獲得。個人でもチームでも大成功といえる1年になった。

 初優勝を果たした翌年もリーグ戦連覇に大いに貢献。キャプテン3年目となる昨季はルヴァンカップ決勝に途中から出てきて絶体絶命のチームを救った。このルヴァンカップも数的不利。どんな状況でも自分にできることをひたむきにやる小林悠らしいゴールだった。

 今年から川崎のキャプテンには谷口彰悟が新しく就任。小林は3年間務め続けたキャプテンの座を引き渡した。

小林悠はどんな選手?

 これも難しい問いである。自分があえて答えるのならば「器用だけど不器用な選手」である。FWとして見た時に苦手なプレーはほとんどない。DFと駆け引きしての抜け出しは特徴の1つだが、ポストも空中戦もフィニッシュワークも難なくこなす。万能型のFWといっていいタイプだと思う。

 一方でシュートを撃つタイミングがやたら素直なことが多いという印象もある。上にすでに書いたように役割を背負いすぎてうまくいかなくなるような場合もあったりする。そういう意味では不器用な部分も持ち合わせているといった方が正確な気がする。

 もう1つ、特徴があるとすれば「有言実行であること」。川崎への残留はクラブにタイトルをもたらすという決意表明の1つである。2016年にたてられたこの決意はわずか1年後に現実のものとなる。

 タイトル獲得はわかりやすいが、もう1つの有言実行は「リーグ戦の全試合出場」。ケガ体質だった小林にとっては、個人的にはリーグ優勝より難しいの目標なのでは?というのが当時の感想だった。

川崎Fを優勝に導いた小林悠が「あれが転機」という深いインタビュー|Jリーグ他|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva今季のJ1リーグは、最終節に大宮アルディージャを5−0で下した川崎フロンターレが、ジュビロ磐田とスコアレスドローに終わったsportiva.shueisha.co.jp

 しかし、こちらも2017年に達成。体質の改善や日ごろの節制など、ファンの目に見えないところでも数多くの取り組みをしていたに違いないはずだ。

あとがき

 リーグ戦3連覇がかかったシーズンということもあり、チーム全体のパフォーマンスに苦言を呈するファンも増えたのが2019年。小林個人に対しても厳しい感想を述べるサポーターは多くなっていた。パフォーマンスが伸びない時にファンからやいのやいの言われるのは当然かもしれない。確かに昨季の川崎はリーグの中で相対的な立ち位置を落としたシーズンだった。

 ただ、個人的には「小林ならば、改善に対して実直に取り組んでくれるはず」という信頼感がある。覚悟を決めて川崎に残り、有言実行で目標を達成し続けた男が、新たな挑戦に対して真摯に取り組まないはずがない。真摯に取り組むだけでなんとかなるのか?といわれそうだが、まずは真摯に取り組まなければ何ともならないのもまた事実だろう。

 「なんで川崎を好きになったんですか?」

 これもよく聞かれる質問である。なんでかはわからないが、今振り返って「なぜ川崎が好きなのか?」を改めて考えてみると、小林悠の存在は自分にとって特別であることが大きな一因である。

 川崎フロンターレというチームそのものの象徴は中村憲剛だろう。ただ、自分の川崎ファンとしての歩みを振り返ると、常に目についたのは小林悠だった。日本代表として彼がピッチに立った瞬間の気持ちは、もう二度と味わえることはないと思う。

 あの日等々力で見つけた頼りない選手は、いつの間にかクラブにタイトルをもたらす大きな存在に飛躍を遂げた。あの日の等々力でグダを巻いていた偏屈な海外サッカーファンはいつの間にか毎試合川崎のレビューをあげるようになっている。

 自分の川崎フロンターレのファンとしての人生は小林悠という1人のサッカー選手の成長譚と強く結びついている。

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